「世の中には、二つのタイプがいるんですよ」と、鍼灸院の先生。

先生によれば、鉄タイプと、アルミタイプがいるといいます。

ふむふむ。硬い人と柔らかい人ってことかしらん?

聞けば、鉄タイプは何かを成し遂げる人、アルミタイプは、やり遂げる人をサポートする人なのだそうです。

鉄は、重くて硬い

日本刀と一緒で、鉄タイプの人は、自分を研ぎ澄まして、何かを成し遂げる力があります。硬いのはだめで柔らかい方がいい、という風潮があるけれど、硬いことは悪いことではない。物理の法則で、チリとチリがぶつかって星になるように、力が強くないと、何も成し遂げられない。

硬い人は、柔らかい人に憧れることがあるけれど、硬い人は柔らかくはなれないし、なる必要もない。硬いことを受け入れて、研ぎ澄ませる。もちろん、何もしないでいれば、硬くて重いだけで何の役にも立たないけれど。

アルミは、軽くて柔らかい

アルミの人は、何かを成し遂げる力はありません。アルミは、研いだら、もっとペラペラになっちゃう。いい加減(良き加減)に生きるのが向いている。

何かを成し遂げなければ意味がない、という風潮があるけれど、アルミがそうしようとすると、潰れてしまう。アルミの生き方が悪いわけじゃない。アルミにはアルミの役割があるから、その風潮につぶされず、受け入れること。

そうだよなーって、しみじみ思いました。何かを成し遂げないと存在意義がないとか、いい加減に生きてるのはダメとか、逆に、硬いのは融通が利かなくてダメとか。そういう「正義」や「正解」みたいなのを押しつけてくる人が、何をもってその正義や正解を決めているのか皆目わからないわたしは、先生の鉄とアルミの話に、やけに納得してしまったのです。

ちなみに先生は、典型的なアルミ人間だそう。「こんなことじゃダメだ、鉄にならなきゃ」と一所懸命努力して、とてもしんどくて、ペラペラになった時期もあったけれど、「自分はアルミ。アルミは、鉄にとってなくてはならないサポート役なんだ」と認めることができて以来、アルミを極めているのだとか。

もちろん、最低限の生きる力は必要だから、いまでも先生は、毎朝、思考を使う作業を入念に確認しているそうです。認めることと、サボることは、違うのです。

得意を差し出し合う

生きていくためには、苦手を克服することが必要なときもあります。だけど、苦手を克服するには、得意を伸ばすことの何倍ものエネルギーが必要になる。そのエネルギーと時間は、できれば、持って生まれた資質を活かすことに使う方がいいと思うのです。

「自分はこれができません」とジトーっと落ち込むのじゃなく、「自分はこれが得意なので、こっちをやります」と、ひとり一人が得意を差し出し合って、調和できたらいいなぁ。

鉄は鉄のまま、アルミはアルミのまま、それぞれの素材の純度を上げていく。そうして磨かれた異なる素材同士が、それぞれの持ち場から、差し出し合う。

同じにならないまま響き合う関係は、そこから始まるのではないでしょうか。