かつて、アメリカで日本語教師をやっていた頃の、忘れられない記憶があります。

意気揚々と飛び込んだものの、毎日10クラスの授業を、一人で作らなければならない日々。インターネットも、スマートフォンも、手本となる教科書もない。英語もカタコトで、授業なんて作ったこともない。手元のマニュアルがすべて無力化するようなカオスの中に、自ら飛び込んでいたことに、後になって気づいたのです。

途方に暮れながらも、こうなったらもう、持ち得る知恵と叡智を総動員するしかありません。いつの間にか、全身のセンサーが起動し始めていました。こういうのを、火事場の馬鹿力というのでしょうか。

幼稚園のクラスでは、手描きの絵や、和紙で夜な夜な作った紙芝居で、日本の文化を伝えました。みんなが知っている歌を日本語の替え歌にして、歌いながら日本語を教える。中学生のクラスでは、画用紙と折り紙で作った手作りのテレビ画面とマイクを渡して、生徒たちにニュースキャスターになりきって、天気予報を読んでもらいました。

礼拝堂のピアノ

ホームステイ先は、リタイアした修道女たちが暮らす、古いドミトリーでした。おばあちゃんシスター30人ほどが共同生活をする修道院の一室を借りて、わたしは暮らしていたのです。

英語が不自由だった最初の頃、コミュニケーションの術は、言葉ではありませんでした。

礼拝堂にあった、調律はされていなくても、毎日シスターが磨いているのがよくわかる、大切にされているピアノ。

その鍵盤をたたきながら、みんなが知っている「エーデルワイス」を、一緒に歌いました。その響きのなかに、確かに、言葉を超えた共鳴が生まれていくのを、肌で感じました。

伝えることと、響き合うこと

いま思えば、あのとき、頭も、身体も、直感も、感性も、すべてのアンテナをフル稼働させて生きることを試されていたのだと思います。あんなに大変な思いをして、鼻をへし折られたにも関わらず、上機嫌だったのはなぜだろう?きっとそれは、生きている実感を、全身で味わっていたからかもしれません。

言葉が通じるようになったいまでも、あの礼拝堂の響きを、ときどき思い出します。

伝えることと、響き合うこと。似ているようで、まったく別の営みなのかもしれません。